記事の内容
想定読者と記事の目的
当記事では、キャニオニングを始めるにあたり、これまで殆ど言語化されてこなかった、アンカー施工に関するハウツーをまとめています。
キャニオニングとは何か

この記事を読んでいるあなたは、「キャニオニング」という言葉から、どのような活動を思い浮かべるでしょうか。
日本国内で一般的に知られているキャニオニングといえば、清冽な淵へ飛び込んだり、天然のウォータースライダーを楽しむ、爽快なレジャーアクティビティのイメージが強いかもしれません。
実際、日本国内でキャニオニングについて調べると、検索結果の大半を占めるのは、こうした体験ツアーの情報です。もちろん、それもキャニオニングの楽しみ方の一つであり、渓谷という場所に触れる入り口として大きな価値があります。
しかし、この記事で取り扱うのは、そうしたレジャーとしての一面ではありません。
高度な技術を駆使して渓谷の内院へと下降していく、探検的行為としてのキャニオニングを前提に話を進めていきます。
キャニオニングの起源
そもそも、キャニオニングとは何でしょうか。
現在のキャニオニングにつながる渓谷探検は、フランスやピレネー山脈周辺を中心に始まったとされています。
近代洞窟探検の先駆者として知られるフランス人探検家、エドゥアール=アルフレッド・マルテルは、洞窟探検で培ったロープや梯子の技術を用い、通常では接近しにくい峡谷の調査を行いました。1904年から1905年頃には、リュシアン・ブリエやマルテルらによるピレネー、シエラ・デ・グアラ、ヴェルドン峡谷などの探査が行われており、これらが近代キャニオニングの先駆的活動として語られています。
その後、洞窟探検家や登山者による渓谷の探索が進み、1950年代以降に下降記録が増加しました。専用装備や技術体系、ルート情報の整備が進んだことで、ヨーロッパではキャニオニングは独立したアウトドアスポーツとして広く認識されるようになりました。
つまり、近代的なキャニオニングの原型が生まれてからは、およそ120年です。その活動が現在に近い形で体系化されたのは、ここ数十年のことです。
キャニオニングは、もともと単に水へ飛び込んだり、滝を滑ったりするために生まれたものではありません。人間が通常の登山技術だけでは立ち入ることのできない、深く険しい渓谷の内部を探査するための技術として発達してきました。
現在、日本で広く行われている商業ツアーは、そうしたキャニオニングが持つさまざまな要素の中から、飛び込み、スライダー、遊泳といった娯楽性の高い部分を取り出し、安全に体験できるように構成したものです。
沢登りとキャニオニングの違い
日本には、キャニオニングが知られるよりもはるか以前から、「沢登り」と呼ばれる登山文化が存在しています。
登山道が現在ほど整備されていなかった時代、山間部を移動する際には、深い藪や急峻な尾根を越えるよりも、沢筋を利用した方が歩きやすい場合がありました。山仕事や狩猟、峠越えなどに伴う沢沿いの移動も、日本の沢登り文化につながる源流の一つだと考えられています。
やがて、沢そのものを登山の対象として捉え、滝を登り、ゴルジュを突破し、源流から稜線へ抜けることに価値を見いだす、日本独自の登山スタイルとして発展していきました。
そのため、沢登りとキャニオニングの違いがよく分からないという人も多いのではないでしょうか。どちらも渓谷を活動の舞台とし、岩を登り、水に入り、必要に応じてロープを使用します。外から見れば、よく似た活動に見えます。
最も単純に表現すれば、その違いは、渓谷を登るか、下るかという点です。
沢登りは、下流から上流へ向かい、滝や岩壁を登って源流部や稜線を目指します。沢登りでは、クライミング能力や、懸垂下降などを含む登山・クライミング系のロープワークが必要になります。
一方、キャニオニングは、上流から下流へ向かって渓谷を下降します。飛び込みやスライダーだけでなく、滝や激流をロープで下降するための技術、水流を読み危険を回避するための知識、濡れた環境でロープを扱うための専門の技術が求められます。
ただし、日本国内の実際の活動において、沢登りとキャニオニングを完全に切り分けることは難しいです。
沢登りでも下降を伴うことがあり、キャニオニングでも巻き道への登り返しや、簡単なクライミングが必要になります。先鋭的な渓谷探検では、登攀と下降の技術を状況に応じて組み合わせることも珍しくありません。
両者は対立するものではありません。同じ渓谷というフィールドに対し、異なる方向と思想から向き合いながら発達してきた活動だといえます。
キャニオニングで避けて通れない「アンカー問題」
では、実際にキャニオニングを始めようとしたとき、最も悩みやすいのは何でしょうか?
下降器の操作でしょうか。水流の読み方でしょうか。それとも、装備の選び方でしょうか。
もちろん、それらも重要です。当ブログでも、キャニオニングとは?沢登りに活用できる渓谷専門技術という記事でその概要を説明しています。
しかし、実際に未知の渓谷を下降しようとすると、必ず直面する問題、それが、アンカー(下降支点)の存在です。
滝をロープで下降するためには、ロープを確実に固定できる場所が必要です。立木や岩などの自然物を利用できる場合もあれば、既設のボルトを使用する場合もあります。そして、適切なアンカーが存在しなければ、自ら人工的なアンカーを設置しなければならない場面も生じます。
どのアンカーを使用するのでしょうか。既存のアンカーを信用してよいのでしょうか。自然物を使うべきでしょうか。それとも、ボルトを設置するべきでしょうか。そもそも、その場所に人工物を残すことは許されるのでしょうか。
キャニオニングにおけるアンカーの問題は、単なるロープワークや施工技術の話だけではありません。日本特有の事情として、アンカーの設置自体タブー視される空気すらあるなか、私たちキャニオニアはどのような基準でアンカーを施工すれば良いのでしょうか。
この記事では、キャニオニングにアンカーが必要となる理由から、アンカーの種類と特徴、設置時に考えるべき法的・倫理的な制約まで、順を追って整理していきます。
当記事は、「どこに、どのボルトを打てばよいか」だけを説明する記事ではありません。
渓谷の中にアンカーを設けるという行為が何を意味するのか。そして、その判断に対して、設置者はどのような責任を負うのでしょうか。
キャニオニングを始める前に、あるいは自らアンカーを設置しようと考える前に、まず知っておいてほしいことをまとめていきます。
キャニオニングになぜアンカーが必要なのか

そもそも、なぜキャニオニングにはアンカーが必要なのでしょうか。
近年の山岳活動では、「クリーンクライミング」や「リーブ・ノー・トレース」といった考え方が広く浸透しています。人がその場所へ入る前と、活動を終えて立ち去った後で、自然環境をできる限り変化させないという考え方です。
私たちは自然の中で遊ばせてもらっています。そのため、不必要に自然の状態を変えてしまうことが好ましくないのは、当然のことでしょう。
これは、山の一部である渓谷を舞台とするキャニオニングにも、同じように適用されるべき考え方です。
しかしその一方で、渓谷を上流から下流へ下降していくという活動の特性上、ロープをセットするためのアンカーが必要になることも、キャニオニングの大きな特徴です。
キャニオニング以外での懸垂下降
沢登りやクライミングを経験したことがある人であれば、立木を利用した懸垂下降を行ったことがあるのではないでしょうか。
最も基本的な方法は、立木に下降用ロープを回してセットし、そのロープを使って懸垂下降を行う方法です。下降後はロープの片側を引き、アンカーからロープを回収します。
しかし、渓谷の中に、毎回都合のよい位置と強度を備えた立木が存在するわけではありません。立木があったとしても、下降ラインから大きく離れていたり、ロープが岩角に強く擦れる位置にあったりすることがあります。
また、キャニオニングでは、大きな滝が現れれば、その滝を上から下まで直接下降しなければならない場合があります。そのため、沢登りやクライミングにおける一般的な懸垂下降とは、ロープの長さも、アンカーに求められる条件も大きく異なります。
キャニオニングでは下降距離が長くなる

沢登りでは、一般的に40メートルから50メートル程度のロープが使用されます。
懸垂下降では、通常、ロープをアンカーで折り返して2本の状態で使用します。そのため、一度に下降できる距離は、40メートルのロープであれば約20メートル、50メートルのロープであれば約25メートルです。
一方、キャニオニングでは、60メートル程度のロープを使用することが多く、ルートによっては100メートル以上のロープを使用する場合もあります。
そのような長いロープを使い、数十メートルにもなる大きな滝を、上部から滝壺付近まで一度に下降することがあります。
下降距離が長くなればなるほど、ロープの回収は難しくなります。
仮に滝の上部に利用できる立木があったとしても、位置が適切でなければ、ロープは地面や岩の上を長く通ることになります。ロープが長くなれば、接触する岩や地面の範囲も広くなり、ロープ自体の重量も増します。その結果、下降後にロープを引いても動かなくなり、回収できなくなる可能性があります。
キャニオニングにおいてロープが回収できないということは、単に装備を失うという問題ではありません。
下降を続けるために必要なロープを失い、その場から先へ進むことも、元の場所へ戻ることも難しくなる可能性があります。容易に脱出できない渓谷の内部では、ロープの回収不能が、そのまま重大な事故につながることもあります。
そのため、アンカーは、単にロープを固定できればよいわけではありません。
下降後にロープを確実に回収できる位置に設置されている必要があります。
ロープと岩の接触を防ぐためのアンカー
沢登りにおける懸垂下降は、高巻きから谷底へ戻るために使用されるのが主なパターンです。この場合、灌木帯から、垂直未満の斜面を下降する場合がほとんどです。
一方、キャニオニングでは、岩盤に囲まれた渓谷の内部を直接下降します。ときには足が岩から離れ、完全に宙づりになった状態で、オーバーハングした滝や岩壁を下降することもあります。
このとき、アンカーの位置が適切でなければ、下降者の体重がかかったロープが、岩角や滝の落ち口に強く押しつけられます。下降中は、人が動くたびにロープもわずかに動きます。その状態でロープが岩角に接触していれば、同じ場所が何度も擦られ続けることになります。
ロープに下降者の全体重がかかり、そのロープが鋭い岩角と擦れ続ければ、ロープは短時間で深刻なダメージを受ける可能性があります。最悪の場合には、ロープの外皮が破れ、芯材が損傷し、破断につながることも考えられます。
ロープの損傷を防ぐためには、ロープが岩角に触れない位置、あるいは接触を最小限に抑えられる位置から下降を開始する必要があります。
そのためには、滝の形状や下降ラインを確認したうえで、適切な位置にアンカーを設けなければなりません。
アンカーの位置が下降の安全性を左右する
キャニオニングにおけるアンカーには、次のような役割が求められます。
- ロープと岩角の接触を防ぐこと
- 下降者を危険な水流から離すこと
- 下降後にロープを確実に回収できるようにすること
- ロープが岩の割れ目や障害物に引っ掛かることを防ぐこと
つまり、アンカーの位置によって、下降の難易度や危険性は大きく変化します。
アンカーの強度が十分であっても、設置位置が悪ければ安全なアンカーとはいえません。反対に、地形と水流、ロープの流れを十分に考慮した位置にアンカーがあれば、下降時の危険を大きく減らすことができます。
キャニオニングでは、ロープを確実に回収できるようにするため、そしてロープが岩と擦れて損傷し、万が一にも破断することがないようにするため、適切な位置にアンカーを設置する必要があります。
それでは、キャニオニングのアンカーについて、詳しく確認していきましょう。
アンカーの種類と特徴
キャニオニングで使用されるアンカーには、具体的にどのようなものがあるのでしょうか。
アンカーは、その場所にある自然物、岩盤の状態、水流、下降距離、ロープの回収方向などによって使い分ける必要があります。主なものとして、次の7種類があります。
- A.立木
- B.立木+細引き
- C.立木+細引き+リング
- D.ボルトを使用したアンカー
- E.ハーケンなどのトラッドアンカー
- F.ヒューマンアンカー(人間アンカー)
- G.転石やチョックストーン
それでは、それぞれの特徴を確認していきましょう。
A.立木

最も一般的で、単純なアンカーの作り方です。
日本国内の渓谷では、谷底から少し離れた場所に、樹木や灌木が生えていることが多くあります。十分な強度を持つ立木にロープを回し、そのロープを使って懸垂下降を行います。
キャニオニングにおいても非常によく使われる方法です。下降距離がおおよそ20メートル程度までと短く、適切な位置に十分な強度の立木がある場合は、まず検討する方法の一つです。
人工的なアンカーを設置する必要がなく、下降後に何も残さずに済むことが、この方法の大きな利点です。
十分な強度がある立木を選定できれば、安全かつクリーンなアンカーとして利用可能です。
一方で、同じ立木に繰り返しロープをかけると、下降やロープ回収のたびに樹皮が擦られます。利用回数が増えれば、幹の外皮が剥がれることで、木が弱ったり枯れたりする可能性があります。
一度しか通過しない探検的な渓谷であれば、立木へ直接ロープをかける方法は、人工物を残さない合理的な選択肢です。しかし、今後も繰り返し下降されることが予想される渓谷では、毎回ロープを直接かけるよりも、Cで紹介する細引きと残置リングを設置する方法がおすすめです。
残置物は発生しますが、ロープが毎回立木の表面を擦ることを防げるため、結果として立木への損傷を抑えられる場合があります。
B.立木+細引き

雪国で沢登りをしている人には、比較的なじみのある方法ではないでしょうか。
積雪量の多い地域では、谷沿いに生えている木が、雪の重さや雪崩の影響によって谷側へ大きく傾いていることがあります。そのような立木にロープを直接かけると、荷重によってロープが幹の先端方向へ滑り、最悪の場合には、木から抜け落ちてしまうおそれがあります。
そこで、細引きをフリクションノットなどによって幹へ固定し、その細引きに下降用ロープを通します。細引きの位置を幹に固定できるため、谷側へ傾いた立木でもアンカーとして利用できる場合があります。
ただし、この方法では、設置した細引きをその場に残置することになります。また、細引きへ下降用ロープを直接通す方法は、基本的にはおすすめできません。
この方法で特に問題となるのは、懸垂下降中に下降用のメインロープと細引きが擦れ合うことです。
下降者の体重がメインロープにかかると、アンカー部分には大きな荷重が加わります。下降中にはロープがわずかに動き続けるため、メインロープと細引きが接触している部分では、荷重がかかった状態で繊維同士の摩耗が生じます。
近年の沢登りやキャニオニング用ロープには、耐摩耗性や耐切創性を高めるため、ケブラーやアラミドなどの繊維が使用されているものがあります。これらの素材は摩耗や切断に強い一方で、表面が硬く、一般的なナイロン製の細引きなどと擦れ合った場合、相手側の繊維を急速に傷める可能性があります。目の粗いやすりが、より柔らかい繊維を削っていくような状態です。
実際に、細引きへメインロープを直接通して懸垂下降を行い、下降中の摩耗によって細引きが破断したことが原因と判断された死亡事故が、発生しています。どの程度の摩擦で破断に至るかは、ロープと細引きの材質、太さ、荷重、濡れ、砂の付着、アンカーの角度などによって変わります。しかし、見た目に十分な太さがある細引きでも、安全とは限りません。
また、細引きに直接ロープを通すと、回収時の抵抗も大きくなります。下降距離やアンカーの角度によっては、下からロープを引いても動かず、回収できなくなる可能性があります。
そのため、細引きだけに下降用ロープを通すこの方法は、原則として避けるべきです。立木へ細引きを残置する必要がある場合は、次に説明する金属製リングを組み合わせた方法を使用します。
C.立木+細引き+リング

Bのように、立木へ細引きやスリングを固定する必要がある場合は、基本的にこちらの方法を選択します。
細引きへ下降用ロープを直接通すのではなく、細引きの先端にキャニオニング用の下降リングや適切なマイロンを取り付け、その金属部分に下降用ロープを通します。
金属製リングを介することで、メインロープと細引きが直接擦れ合うことを防げます。これにより、懸垂下降中の摩耗によって細引きが破断するリスクを抑えられます。
また、金属製リングはロープとの摩擦が比較的小さいため、下降後のロープ回収も容易になります。細引きへロープを直接通した場合には、想像以上に大きな摩擦が生じます。下降距離やアンカーの角度によっては、抵抗が大きすぎてロープを回収できなくなることもあります。
専用のリングやマイロンがない場合は、カラビナで代用も可能です。ただし、残置用として設計されていないカラビナには、ゲートの状態や向き、材質、長期的な腐食などの問題があります。そのため、恒久的、または繰り返し利用されるアンカーには、用途に適したリングやマイロンを使用するべきです。
リピートされる可能性がある渓谷では、Aのように毎回立木へ直接ロープをかけるよりも、この方法を選択した方がよい場合があります。
細引きやリングを残置することには、人工物を残すというデメリットがあります。しかし、立木へ直接ロープをかけ続けることで樹皮を傷つけ、最終的に木を枯らしてしまうのであれば、残置リングを介して摩擦を防ぐ方が、環境への影響を小さくできる可能性があります。
D.ボルトを使用したアンカー

岩盤にボルトを施工し、キャニオニング用のハンガーやリングを取り付けて使用する方法で、キャニオニングにおける代表的なアンカーの一つです。
最大の利点は、施工に適した岩盤があれば、下降に適した位置を選んでアンカーを設置できることです。
ボルトアンカーは、単に立木がないから設置するものではありません。危険な水流を避け、ロープが鋭い岩角に触れず、さらに下降後にロープを確実に回収できる位置を選ぶ必要があります。
アンカーの強度が十分でも、設置位置が悪ければ、安全なアンカーとはいえません。
ロープが岩角に擦れる位置や、回収時に不適切な方向へロープを引かなければならない位置にアンカーを設置することは、大きなリスクになります。そのため、安全な下降とロープ回収が可能な位置に、必要最小限の本数のボルトを使ってアンカーを構築することは、キャニオニングにおいて避けられない場合があります。
また、ボルトの設置には、技術的な問題だけでなく、土地の所有・管理、自然公園などの規制、既存の登山文化との関係といった問題も伴います。(後述)
E.ハーケンなどのトラッドアンカー
適切な位置にクラックやリスがある場合は、ボルトではなく、ハーケンなどのトラッドアンカーを使用してアンカーを構築できることがあります。
新たな穴を岩盤に開けずに設置できることが、この方法の利点です。ボルト施工に法的な問題がある場所や、沢登りの人気ルートなど、恒久的な人工アンカーの設置がはばかられる場所では、ハーケンが有力な選択肢になる場合があります。
一方で、ハーケンの効きは、岩質、クラックの形状、打ち込み方向、ハーケンの種類などによって大きく変わります。その評価には、経験と技術が必要です。
打ち込んだ際に良い音がしたからといって、必ずしも十分な強度があるとは限りません。表面だけが固く、内部が脆い場合もあります。逆に、強く打ち込みすぎることで岩を割ったり、ハーケンを回収できなくしたりすることもあります。
既設のハーケンについても注意が必要です。外から見える部分が健全に見えても、クラック内部で腐食している可能性があります。そのため、既設のハーケンがあるというだけで、そのまま信用するべきではありません。
ハーケンに下降用ロープを直接通すことはできません。そのため、ハーケンから細引きやスリングを延長し、その先端に下降リングやマイロンを取り付けます。考え方としては、Cの立木に細引きと残置リングを設置する方法と同様です。
ボルトを使用できない場所でアンカーを構築するためにも、ハーケンなどのトラッドアンカーを扱う技術には慣れておく必要があります。
F.ヒューマンアンカー(人間アンカー)
ヒューマンアンカーとは、人間の体重と姿勢を利用してアンカーを作る技術です。
使用できる場面は限られていますが、状況によっては非常に有効です。
例えば、飛び込みで通過できそうな滝があるものの、水深や水中の障害物を確認しなければ安全かどうか分からない場合です。一人目だけがロープで下降して滝壺を確認できれば、残りのメンバーは飛び込みで通過できる可能性があります。
そのような場合、先頭者以外のメンバーが、足場の安定した場所で踏ん張り、ヒューマンアンカーとなって一人目を下降させることがあります。
また、パーティー内の力量に大きな差がある場合に、不慣れなメンバーだけをヒューマンアンカーで下降させ、経験のあるメンバーはクライムダウンや飛び込みで通過することも考えられます。
ヒューマンアンカーの利点は、立木、岩、ボルトなどの適切なアンカーが何もない場所でも、少なくとも最後の一人を除くメンバーをロープで下降させられることです。
一方で、アンカーのメンバーが、足を滑らせる、姿勢を崩す、といったことで、アンカーそのものが移動したり崩壊したりする可能性があります。
使い方を誤れば、下降者だけでなく、ヒューマンアンカーとなっているメンバーまで転落する危険があります。複数人でアンカーを作っている場合には、一人が姿勢を崩したことをきっかけに、全員が引き込まれることも考えられます。
記事や動画を見ただけで実践できる技術でもありません。経験者の指導のもと、荷重の受け方、メンバーの配置、バックアップ、解除方法などを練習してから使用する必要があります。
適切に利用できれば、自然物や人工アンカーが存在しない場所で、パーティーを前進させるための大きな武器になります。しかし、アンカーとしては不安定な性質を持つため、使用する場面と条件を慎重に判断しなければなりません。
G.転石やチョックストーン
適切な立木がない場合でも、安定した転石やチョックストーンがあれば、それを自然アンカーとして利用できることがあります。
転石とは、谷底などに存在する独立した岩を指します。チョックストーンとは、岩壁や狭い溝の間に挟まって固定されている岩を指します。これらに細引きやスリングを回し、必要に応じて下降リングやマイロンを取り付けることで、懸垂下降用のアンカーを構築します。
立木がない場所でも使用でき、岩盤へボルトを施工せずにアンカーを作れることが、この方法の利点です。
ただし、岩が大きいから安全とは限りません。
一見安定しているように見えても、案外簡単に動いたりすることがあるのが転石やチョックストーンの怖いところです。また、細引きを通す、裏側に鋭利なエッジなどが無いかも慎重に判断する必要があります。
アンカーは「種類」だけで選ぶものではありません
ここまで7種類のアンカーを紹介しましたが、どの方法が最も優れていると一概に決めることはできません。
立木があれば、必ず立木を使えばよいわけではありません。ボルトを設置すれば、必ず安全になるわけでもありません。
アンカーそのものの強度だけでなく、想定される荷重方向、ロープと岩角の接触、危険な水流との位置関係、下降開始時の操作性、ロープの回収性などを総合的に判断する必要があります。
さらに、キャニオニングにおけるアンカーは、その場にいる自分たちだけの問題ではありません。
残置した細引きやリング、ハーケン、ボルトは、次にその場所を訪れた人が使用する可能性があります。また、立木や岩盤へ与えた影響は、自分たちが立ち去った後にも残ります。
アンカーの構築は、単にロープを固定する作業ではありません。
渓谷の地形と水流を読み、下降中に何が起こるのか、ロープを回収するときに何が起こるのか、さらに次に訪れた人がそのアンカーをどのように利用するのかまで考える必要があります。
そして、特に慎重な判断が必要になるのが、岩盤へ恒久的な人工物を設置するボルトアンカーです。
次章では、キャニオニングで使用されるボルトとキャニオニング用ハンガーの種類について確認していきます。
参考資料
ボルトとキャニオニング用ハンガーの種類

キャニオニングで使用されるボルトやハンガーは、日本国内のクライミングルートで一般的に見かけるものと、何が違うのでしょうか。
一見すると、どちらも岩盤にボルトを施工し、そこへ金属製のハンガーを取り付けたものです。しかし、クライミングとキャニオニングでは、アンカーの使い方や設置される環境が大きく異なります。
クライミング用のアンカーは、基本的にカラビナやクイックドローを接続して使用します。一方、キャニオニング用のアンカーには、濡れた環境で長期間使用できる耐食性、長いロープを安全に通せる形状、そして下降後にロープを確実に回収できる構造が求められます。
この章では、キャニオニングで使用されるボルトの種類、太さ、長さ、材質と、キャニオニング専用ハンガーの特徴について確認していきます。
キャニオニングで使用されるボルト
キャニオニングで使用される機械式アンカーボルトとして、ここでは次の2種類を取り上げます。
- グージョンアンカー
- オールアンカー
基本的には、耐久性と信頼性を重視して、グージョンアンカーを使用するのが標準です。
一方、再訪の可能性が極めて低いエクスペディションなどでは、携行性や施工速度を優先し、オールアンカーが選択される場合もあります。
ただし、日本国内の渓谷に恒久的なアンカーを設置するのであれば、基本的には、用途に適したステンレス製のグージョンアンカーを使用すると考えてよいでしょう。
グージョンアンカーとは
グージョンアンカーは、英語ではウェッジアンカーなどと呼ばれる、拡張式のアンカーボルトです。
岩盤に規定された径と深さの穴を開け、穴の中を十分に清掃してからボルトを打ち込みます。その後、先端のナットを規定のトルクで締めることで、埋め込まれた拡張部分が穴の内壁へ押しつけられ、ボルトが固定されます。
荷重によってボルトが引き抜かれる方向へ力を受けたときにも、拡張部分が岩盤の内部で抵抗する構造です。
グージョンアンカーは、スポーツクライミングのルート整備でも広く使用されています。過去に簡易的なアンカーで作られたルートを、耐久性や信頼性に優れたステンレス製グージョンアンカーへ更新する作業も行われています。
ただし、岩はコンクリートと異なり、岩質や風化の程度が一定ではありません。ボルト自体の性能だけでなく、施工する岩盤が十分に健全であることが前提です。
オールアンカーとは
オールアンカーも、岩盤に開けた穴の中で金属部分を拡張させて固定する機械式アンカーです。
日本では「オールアンカー」という名称が広く使われていますが、これは製品や構造を指す呼び方として用いられているものです。具体的な固定機構や施工方法は製品によって異なるため、使用する製品の仕様を必ず確認する必要があります。
グージョンアンカーと比較した場合、オールアンカーの利点として挙げられるのは、施工工程が比較的単純で、短時間で取り付けられる製品があることです。
グージョンアンカーでは、ボルトを打ち込んだ後、ナットを規定のトルクまで締め込む必要があります。一方、オールアンカーには、打撃によって拡張部分を固定する構造のものがあり、現場での施工を短時間で完了できる場合があります。
電動ドリル、バッテリー、ビットなど、持ち込める装備が限られるエクスペディションでは、この施工速度や装備の単純さが利点になることがあります。
オールアンカーは製品によって構造と強度が異なります。また、ハンガーを固定する部分の径や形状によっては、グージョンアンカーと比較してボルト本体の曲げ強度が低くなる場合があります。
そのため、繰り返し利用されることが予想される渓谷や、恒久的なアンカーを整備する場面では、基本的にグージョンアンカーを優先します。
オールアンカーの利点として、「浅い穴でも固定できる」と説明されることがあります。
確かに、構造上は先端の拡張部分が岩盤に入ることで、ボルトが表面的に固定されたように見える場合があります。そのため、ドリルやビットが破損し、規定の深さまで穴を開けられない緊急時に、浅く施工したアンカーが使用された事例もあります。
しかし、規定の埋込み深さに達していないアンカーは、メーカーが示す強度を発揮しません。
見た目には固定されていても、岩盤の表層が剥離したり、ボルトが抜けたりする可能性があります。特に、風化した岩盤や薄い岩の表面では、浅い施工は極めて危険です。
ボルトの太さ
キャニオニングでは、主にM10やM8ボルトが使用されます。
継続的に利用されるルートや、不特定多数の利用が予想される場所では、一般的にM10など、より大きな径のボルトが選択されます。
一方、上級者向けの探検的な渓谷や、再訪の可能性が低く、装備重量を抑える必要があるエクスペディションでは、M8のボルトと軽量ハンガーが使用される場合があります。
径が太いボルトを使用しても、脆い岩へ不適切に施工すれば安全ではありません。反対に、適切な岩盤へ正確に施工されていればM8アンカーでも十分な強度を発揮します。
重要なのは、径だけで判断するのではなく、ボルト、ハンガー、岩盤を一つのアンカーシステムとして評価することです。
※ M8ハンガーは、一般的なクライミング用アンカーとは用途や認証条件が異なる製品です。想定用途や使用上の制限を確認してください。
ボルトの長さ
ボルトの長さについては、対象製品で設定されている長さの中から、岩質と用途に応じて選択します。
硬く、均質で、風化の少ない岩盤では、比較的短いボルトを使用します。ボルトが短ければ、穿孔時間を短縮でき、バッテリーの消費も抑えられます。
しかし、常に「最も短いボルトを選べばよい」というわけではありません。
変成岩をはじめ、表面の風化が進んでいる岩、層状に剥離しやすい岩、内部に細かな亀裂を含む岩などでは、表層だけに固定することが適切でない場合があります。そのような岩盤では、健全な部分まで到達させるため、より長いボルトが必要になることがあります。
ボルトを施工する際に気をつけるべき点
ボルトを施工するのは岩盤ですが、岩であればどこに設置しても安全というわけではありません。
ボルトそのものに十分な強度があっても、施工する岩盤が脆かったり、岩の縁やクラックに近すぎたりすれば、荷重を受けたときに岩盤ごと破壊される可能性があります。
また、キャニオニングでは、通常時の強度だけでなく、増水時にアンカーがどのような影響を受けるかまで考えなければなりません。
施工位置を決める際には、少なくとも次の点に注意します。
1.岩の縁から15センチ以上離す
ボルトは、岩の縁から15センチ以上離して施工することを基本とします。
いかに頑丈に見える岩盤であっても、縁に近い場所へボルトを施工すると、穿孔や拡張によって岩に亀裂が入ったり、荷重を受けた際に岩の端が欠けたりする可能性があります。
特にグージョンアンカーなどの拡張式アンカーは、ナットを締め込むことで、穴の内部から周囲の岩盤へ力を加えます。岩の縁に近すぎる場所では、この拡張力を受け止めるために必要な岩の厚みを確保できません。
キャニオニングやクライミング用ボルトの施工では、一般的な目安として、一つのボルトを中心に半径15センチ程度の健全な岩盤を確保するという考え方があります。
脆い岩、層状に割れやすい岩、長いボルトを使用する場合などは、さらに大きな距離を確保する必要があります。
2.複数のボルトは15センチ以上離す
キャニオニングでは、より高い安全性や冗長性が必要な場所に、二つのボルトを使用してアンカーを構築する場合があります。
複数のボルトを施工する場合も、ボルト同士の距離を15センチ以上離すことを基本とします。
隣り合うボルトを近い位置に施工すると、それぞれのボルトから岩盤へ加わる拡張力や、荷重を受けた際に生じる破壊範囲が重なります。その結果、二つのボルトが別々の岩盤に支えられるのではなく、同じ小さな範囲の岩を一緒に破壊してしまう可能性があります。
複数のボルトを施工するときには、ボルト同士を15センチ以上離すだけでなく、両方が同じクラック、薄いフレーク、独立した岩塊に設置されていないかも確認します。
3.岩が浮いたり、ひび割れたりしていないか確認する
岩盤の状態は千差万別です。
一見すると頑丈な岩に見えても、表面に薄いフレークが乗っているだけの場合や、ブロック状の岩が山体から分離し、わずかな部分だけで保持されている場合があります。
そのような岩にボルトを施工すると、ボルト自体は抜けなくても、荷重を受けた際に岩盤ごと剥がれ落ちる可能性があります。
ボルトは、できる限り大きな一枚岩で、山体そのものと連続していると判断できる、安定した岩盤へ施工します。
まず、次のような状態がないかを目視で確認します。
- ボルトの周囲を横切るクラック
- 岩の表面が薄く剥離している箇所
- 岩盤から独立しているブロック
- 風化して砂状になっている表面
- 打撃によって簡単に欠ける岩
見た目だけでは判断できない場合は、ハンマーで岩盤を軽く叩き、音や振動を確認します。
硬く、緻密で、山体と一体になった岩盤は、高く澄んだ音を返す傾向があります。一方、内部に空洞がある岩、表面が浮いている岩、薄いフレーク状の岩は、低く鈍い音や、空洞を感じさせる音を返します。
岩盤を叩く場所の近くへ手を添え、振動の伝わり方を確認する方法も、浮きや亀裂を見つけるための一つの手掛かりになります。小さな範囲だけが強く振動する場合は、その部分が周囲の岩盤から分離している可能性があります。
反対に、大きく安定した岩盤では、局所的な揺れを感じにくい傾向があります。
ただし、音や手に伝わる振動だけで岩盤の安全性を断定することはできません。これらは、目視、岩の形状、クラックの位置、周辺の風化状態などと組み合わせて判断するための目安です。
少しでも岩盤の状態に疑問がある場合は、その場所への施工を避け、別の位置を探します。
4.増水時に破壊されない場所を選ぶ
キャニオニング用ハンガーの設置位置を考えるうえで、クライミング用のアンカーとは異なる重要な要素があります。
それは、増水時に流下する水、岩、砂利、流木などによって破壊されない場所を選ぶことです。
渓谷では、台風や集中豪雨によって、平常時とは比較にならないほど水位が上昇することがあります。普段は水が届かないように見える場所でも、年に何度かは激しい水流にさらされている可能性があります。
増水した水には、砂利、転石、流木などが含まれています。その力は非常に大きく、頑丈なステンレス製のボルトやハンガーであっても、容易に破壊されてしまいます。
そのため、ボルトは平常時に使いやすいだけでなく、増水のことを考慮して設置する必要があります。
具体的には、次のような場所が候補になります。
- リッジや岩角を少し回り込んだ内側
- 岩盤の一部がわずかにへこんでいる場所
- 上流から流れてくる岩や流木が直接衝突しにくい場所
施工位置を見極める手掛かりの一つが、苔の残り方です。
周囲の岩盤が滑らかに磨かれている中で、局所的に苔が残っている場所は、増水時にも強い水流や転石が直接当たりにくい可能性があります。その場所に十分な強度を持つ岩盤があり、下降とロープ回収にも適した位置であれば、ボルト施工の有力な候補になります。
5.滝や岩壁が垂直になる直前の側壁に施工する
アンカーは、滝や岩壁が垂直になる直前の側壁に施工するのが基本です。
もし、その場所まで安全に歩いて近づくことができない場合は、メインの下降用アンカーへアプローチするためのアンカーを、さらに上流側へ設置することもあります。
側壁にアンカーを施工する理由は、下降中とロープ回収時に、ロープと岩盤が接触する範囲をできる限り小さくするためです。
例えば、滝の落ち口よりも上流側にある地面へアンカーを設置した場合、下降用ロープは、アンカーから滝の落ち口まで地面の上を通ります。その後、岩盤が水平から垂直へ変化する屈曲部を通過し、滝の下へ垂れ下がることになります。
この状態で懸垂下降を行うと、下降者の体重がかかったロープが、滝の落ち口の岩角へ強く押しつけられます。下降者が動くたびにロープもわずかに動くため、同じ箇所が繰り返し岩盤と擦れ、ロープにダメージを与える可能性があります。
また、下降後にロープを回収するときにも、ロープが岩盤の屈曲部を擦りながら移動することになります。接触する距離や角度によっては摩擦が非常に大きくなり、ロープを引き抜くことが難しくなる場合があります。
一方、滝や岩壁が垂直になる直前の側壁にアンカーを設置すれば、ロープはアンカーから直接下方へ垂れ下がります。これにより、ロープが滝の落ち口や岩角を越える距離を短くでき、下降中の摩耗と回収時の摩擦を抑えることができます。
理想的なのは、下流側からロープを引き抜く際に、ロープが岩盤へほとんど触れず、アンカーから回収地点まで自然に動く位置です。
アンカーの設置位置は、下降者がロープをセットしやすいかどうかだけで決めるものではありません。下降中にロープがどこを通るのか、下降者の体重がかかったときにどの岩角へ接触するのか、そして下降後にどの方向からロープを引き抜くのかまで想定して決定します。
ボルトとハンガーの材質
キャニオニングで恒久的に使用するボルトとハンガーには、原則として耐食性の高いステンレス製品を使用します。
渓谷内のアンカーは、乾燥したクライミングエリアよりも、金属が腐食しやすい環境です。
鉄製のボルトは、乾燥した屋内などでは使用できますが、継続的に濡れる屋外環境では腐食が進みやすくなります。渓谷内では、わずか数年で著しく錆び、交換が必要になる可能性もあります。
必要な場所に、必要最小限の本数を施工し、一度設置したものを長期間繰り返し利用できる状態にすることが重要です。
ステンレスにも複数の種類があります。キャニオニング用アンカーでは、SUS316、またはこれに相当するA4系ステンレスの製品が有力な選択肢になります。
一般的なSUS304と比較して、SUS316にはモリブデンが含まれており、塩化物を含む環境などでの耐食性が高められています。そのため、恒久的なキャニオニング用アンカーを新設するのであれば、ボルトとハンガーの両方をSUS316系で統一することを推奨します。
ただし、SUS316であれば永久に腐食しないわけではありません。海岸に近い場所、温泉成分を含む場所、常に水分が滞留する隙間などでは、SUS316にも孔食や隙間腐食が発生する可能性があります。
材質だけを理由に、既設アンカーを無条件で信用してはいけません。
GORGE CLUBオンラインストアでは、SUS316製のグージョンアンカーやキャニオニング用ハンガー、SUS316L製のラペルリングを取り扱っています。製品の用途と注意事項を確認したうえで使用してください。
異なる材質の金属を混在させない
もう一つ気をつけなければならないのが、異なる材質の金属を接触させて使用することです。
例えば、次のような組み合わせです。
- ステンレス製ハンガーと鉄製ボルト
- ステンレス製ハンガーと鉄製マイロン
- ステンレス製ボルトと鉄製ナット
異なる種類の金属が接触し、そこに水分などの電解質が存在すると、電位差によって一方の金属の腐食が促進されることがあります。これを異種金属接触腐食、または一般に電食と呼びます。
渓谷は水分が豊富なため、この条件が成立しやすい環境です。
特に、ステンレスと鉄を組み合わせた場合、鉄側の腐食が局所的に進行する可能性があります。外から見えるハンガーはきれいなままでも、ボルトやマイロンの鉄部分だけが著しく痩せていることがあります。
そのため、恒久的なアンカーを施工するときは、ボルト、ナット、ハンガー、マイロンまで、同じ系統のステンレス材で統一します。
ボルトだけをSUS316にしても、そこへ鉄製のハンガーやマイロンを接続すれば、耐久性の高いアンカーシステムにはなりません。
キャニオニング用ハンガーとは

日本国内では、キャニオニング専用ハンガーを目にする機会は、まだ多くありません。
それでは、キャニオニング用ハンガーは、クライミング用ハンガーと何が違うのでしょうか。
最も大きな違いは、下降用ロープを直接通すことを前提として設計されていることです。
一般的なクライミング用ハンガーは、カラビナやクイックドローを接続して使用する構造です。ハンガーのホールは、金属製のカラビナをかけるために作られており、ロープを直接通して回収することを前提としていません。
クライミング用ハンガーへロープを直接通して懸垂下降を行うと、ハンガーの縁や摩耗した部分によって、ロープを傷める可能性があります。また、接触面が小さく、ロープ回収時の摩擦も大きくなります。長いロープを通している場合には、回収できなくなる危険もあります。
一方、キャニオニング用ハンガーは、ロープが接触する部分を大きく、滑らかに設計しています。下降用ロープを直接通し、繰り返し懸垂下降とロープ回収を行うことを前提としています。
主な特徴は次のとおりです。
- ロープが接触する部分に鋭い縁がない
- ロープの屈曲が極端に小さくならない
- ロープを通す部分が、岩盤に対して適切な向きになる
- 濡れた環境での継続使用を想定した材質が使われている
キャニオニング用ハンガーは、クライミング用ハンガーと形状こそ似ていますが、全くの別物です。
クライミング用ハンガー+マイロンはNG
クライミング用ハンガーにマイロンを接続し、キャニオニング用に使用しているのを見かけることがあります。
クライミング用ハンガーへロープを直接通すよりは、ロープが金属の鋭い縁に触れにくくなります。しかし、キャニオニングで長いロープを回収するアンカーとしては、重大な問題が生じる場合があります。
重要なのは、ロープを通すリングの向きです。
キャニオニング用ハンガーは、設置したときに、ロープを通す部分が岩盤から立ち上がる方向になるよう設計されています。ロープの通過面が岩盤に対しておおむね垂直になることで、リングと岩盤の間にロープが挟まりにくくなります。
一方、一般的なクライミング用ハンガーにマイロンを接続すると、マイロンが岩盤に沿うような向きになります。この状態で下降後にロープを引くと、ロープの自重によりロープがマイロンと岩盤の間に挟み込まれます。ロープが挟まれれば、摩擦が急激に増加し、ロープを回収できなくなる可能性があります。
したがって、キャニオニング用の恒久的な下降アンカーには、クライミング用ハンガーとマイロンを安易に組み合わせるのではなく、専用ハンガーを使用しましょう。
GORGE CLUBオンラインストアで取り扱っているM8キャニオニング用ハンガーも、リング部分が岩盤に対して立ち上がり、ロープを直接通せる構造です。ただし、軽量なエクスペディション用途の製品であり、繰り返し利用される環境や高荷重用途には推奨されていません。製品ごとの想定用途を確認したうえで選択してください。
GORGE CLUBオンラインストア|キャニオニング用ハンガー M8
ボルトとハンガーは、別々に強度を考えるものではありません。
高強度のボルトへ不適切なハンガーを取り付けても、安全なアンカーにはなりません。反対に、高品質なキャニオニング用ハンガーを、腐食しやすいボルトや不適切な岩盤へ取り付けても意味がありません。
次章では、キャニオニングにおけるボルト施工に、どのような法律上の制約が関係するのかを確認していきます。
参考資料
アンカー施工に関係する法的な制約
キャニオニング用のアンカーを施工するときには、強度や設置位置といった技術的な安全性だけでなく、法律上、その場所に工作物を設置してよいのかを確認しなければなりません。
岩盤へ穴を開けてボルトやハンガーを固定する行為は、自然物へ恒久的な変更を加える行為です。
「小さなボルトを数本打つだけだから問題ない」「登山や安全確保のためだから認められる」と、設置者が独自に判断することはできません。
土地の所有者や管理者、自然公園の区域区分、文化財としての指定などによって、必要となる許可や手続きが異なります。
国立公園や国定公園では区域区分を確認する
日本の国立公園や国定公園は、自然環境の重要度などに応じて、主に次のような区域に分けられています。
- 特別保護地区
- 第1種特別地域
- 第2種特別地域
- 第3種特別地域
- 普通地域
特別保護地区は、国立公園や国定公園の中でも、特に厳格な保護が必要とされる区域です。
また、第1種から第3種までの特別地域でも、工作物の新築、改築、増築などを行う場合は、原則として事前の許可が必要です。特別地域の中でも、第1種は特に強い保護が求められ、第2種、第3種と進むにつれて、農林漁業など地域の利用との調整が考慮される区分になっています。
ボルトやハンガーが自然公園法上の「工作物」に該当するか、また例外的な軽易行為として扱われるかは、設置場所、規模、目的、地域の管理方針などを踏まえて、行政機関が判断する事項です。そのため、その公園を管轄する環境省の自然保護官事務所、都道府県または市町村の担当部署へ確認する必要があります。
普通地域では、特別地域と比べると自然公園法上の規制は限定されています。工作物についても、一定規模を超えるものが届出の対象とされています。
しかし、自然公園法による許可や届出が不要であっても、注意点はあります。普通地域の中には、国有地、公有地、私有地などが混在しています。自然公園法上の手続きが不要であっても、土地の所有者、施設管理者などの承諾が必要になる可能性があります。
また、区域ごとに独自の管理計画や利用ルールが定められている場合もあります。
したがって、まず公園計画図などから区域区分を調べ、続いて土地や施設の管理主体を確認し、必要に応じて設置の可否を問い合わせる必要があります。
都道府県立自然公園にも規制があります
国立公園や国定公園ではないからといって、規制がないとは限りません。
都道府県立自然公園では、それぞれの都道府県が定める条例により、特別地域における工作物の設置や土地の形状変更などが規制されている場合があります。
具体的な規制内容、区域区分、申請先は都道府県によって異なります。
渓谷が都道府県立自然公園内にある場合は、該当する都道府県の自然環境、公園、文化財などを担当する部署へ確認してください。
天然記念物や名勝では現状変更の許可が必要です
滝や渓谷などは、文化財保護法に基づく名勝や天然記念物に指定されている場合があります。
国が指定する史跡、名勝、天然記念物について、その現状を変更したり、保存に影響を及ぼしたりする行為を行う場合は、原則として事前の許可が必要です。岩盤へ穴を開け、金属製のボルトを固定する行為は、現状変更に該当すると判断される可能性が極めて高い行為です。
許可を得ずにアンカーを施工すれば、文化財保護法に違反する可能性があります。
また、文化財の指定は国によるものだけではありません。
都道府県や市町村が、それぞれの文化財保護条例に基づき、名勝や天然記念物を指定していることもあります。この場合の手続きや規制内容は、各自治体の条例によって異なります。
国指定文化財でないことを確認しただけでは不十分です。都道府県指定、市町村指定の文化財についても調べる必要があります。
観光地として名前が知られている滝や渓谷、地質的に特徴のある峡谷などは、名勝、天然記念物、自然公園、保安林など、複数の制度による保護対象になっている可能性があります。
有名な滝や渓谷のすべてが文化財に指定されているわけではありません。しかし、名称があり、案内板や遊歩道が整備されている場所では、何らかの指定や管理主体が存在する可能性を考える必要があります。
そのような場所へ立ち入ること自体は、直ちに違法とならない場合も多くあります。
しかし、立入りが認められていることと、岩盤を加工してよいことは全く別の問題です。
観光客が自由に立ち入れる場所であっても、岩盤へボルトを施工するには、管理者の承諾や法令上の許可が必要になる可能性があります。
法的に不明な場合は施工しない
現場で法的な扱いが分からない場合は、その場で自己判断してボルトを施工するべきではありません。
事前に確認できなかった場所では、可能であれば立木、転石、チョックストーン、ハーケンなど、恒久的な穴を岩盤に残さない方法を検討します。
それらの方法でも安全に下降できない場合は、入渓そのものを見送る判断も必要です。
参考資料
モラルと既存の渓谷文化への配慮
法的にアンカーの施工が禁止されていない場所であっても、それだけを理由に自由にボルトを設置してよいわけではありません。法律は、行為が許されるかどうかを判断する最低限の基準です。
実際にその場所へアンカーを設置するべきかどうかについては、自然環境、景観、既存の利用者、地域との関係を含めた、モラルや倫理の問題を考える必要があります。
是非、沢登り文化に配慮を
ヨーロッパで発展したキャニオニングは、渓谷を上流から下流へ下降するための技術として体系化されてきました。
ヨーロッパのキャニオニングルートでは、下降に適した場所へ耐久性の高いステンレス製アンカーが設置され、継続的に整備されている例が多くあります。
一方、日本にはキャニオニングが広く知られる以前から、沢登りという独自の登山文化があります。沢登りの思想には、クライミングや登山文化と共通する部分が多くあります。
近年の登山やクライミングでは、自然物へ不必要な改変を加えないこと、人工物を必要以上に残さないことが重視されています。沢登りを楽しむ人の中にも、渓谷へ恒久的なボルトを追加することに慎重な考えを持つ人が多くいます。
キャニオニングの立場だけから見れば、適切な位置にアンカーを設置することは、合理的です。しかし、沢登りの立場から見れば、これまで人工物のなかった滝へ、新たに持ち込まれた不要な設備と受け取られる可能性があります。
どちらか一方だけが正しいという問題ではありません。
重要なのは、日本の渓谷が、キャニオニングをする人だけのフィールドではないということです。
日本国内では、沢登りという既存の文化がある場所へ、キャニオニングという新しい文化が加わり始めています。
キャニオニングを楽しむ人が増えること自体は、渓谷というフィールドの可能性を広げるものです。しかし、その発展の過程で既存の利用者への配慮を欠けば、両者の間に軋轢が生じます。
「法律で禁止されていないから」という理由だけで、不必要なボルトを次々と設置すれば、キャニオニングそのものに対する反発を招く可能性があります。
一度対立が生じると、アンカーが撤去されたり、地域全体でキャニオニングが問題視されたりするようになります。揉め事が発生して大きくなった場合、結果は一つしかありません。その渓谷の立ち入り禁止です。
そのような状況は、沢登りをする人にとっても、キャニオニングをする人にとっても望ましいものではありません。
アンカーを設置するときには、その渓谷がほかの利用者にとって、どのような場所として認識されているのかを考える視点が必要です。
沢登りで親しまれている渓谷を事前に調べる
アンカーを設置する可能性がある場合は、その渓谷が沢登りのルートとして利用されているかを事前に調べます。SNSやウェブ上の遡行記録などを確認すれば、沢登りでよく利用される滝や登攀ラインを把握できます。
沢登りの人気ルートであることが分かった場合は、ボルトの設置そのものを慎重に判断します。どうしても下降用アンカーが必要な場合には、可能な範囲で次のような配慮を行います。
- 既存の登攀ラインへボルトを設置しない
- 沢登りで使用されるアンカーやビレイポイントを避ける
- 滝を正面から登る人や見る人の視界に入りにくい位置を選ぶ
- 必要最小限の本数にとどめる
- 既存の安全なアンカーがある場合は、不必要に追加しない
沢登りの登攀ラインと、キャニオニングの下降ラインが一致するとは限りません。沢登りでよく登られるラインを外すことで、両者が同じ滝を利用しながら共存できる可能性があります。
可能な限り影響の小さいアンカーを選ぶ
キャニオニングでは、下降するためのアンカーが必要です。そのため、人工物を一切使わないことを絶対的な原則にすることは現実的ではありません。
しかし、アンカーが必要だからといって、常にボルトを選ぶ必要もありません。
第3章で紹介したように、アンカーには次のような選択肢があります。
- 立木へロープを直接かける
- 立木へ細引きと下降リングを設置する
- 転石やチョックストーンを利用する
- ハーケンなどのトラッドアンカーを使用する
- ヒューマンアンカーを利用する
利用頻度、安全性、景観、自然物への損傷、既存利用者への影響を総合的に考え、最も影響の小さい方法を選択します。
次に訪れる人のことまで考える
一般的なアンカーで問題のない場所へ、不必要に大きな穴を二つ開けることは、技術面でも倫理面でも合理的とはいえません。
アンカーを設置した時点で、それは設置者だけが使用する装備ではなくなります。
後から訪れた人は、設置者の意図、使用したボルトの種類、施工深さ、岩盤の状態を知ることができません。見た目に新しいアンカーであれば、安全なものだと信じて使用する可能性があります。
そのため、アンカーを設置する人には、自分たちが一度下降できればよいという考えではなく、将来の利用者に対する責任が生じます。
施工技術や岩質の判断に自信がない状態で、恒久的なアンカーを残すべきではありません。
また、法的には設置可能で、技術的にも施工できるとしても、その渓谷の文化や景観を考えたときに、設置しないという判断が最善になることもあります。
日本におけるキャニオニングは、これから文化を形成していく段階にあります。
これからキャニオニングを始める人には、安全な下降技術だけでなく、沢登りを楽しむ人々、地域の住民、土地の管理者、そして自然環境と共存するための考え方を身につけてほしいと思います。
キャニオニングの文化が長く受け入れられていくかどうかは、私たち一人ひとりが、どのようなアンカーを、どこへ、どのような理由で残すのかにかかっています。
V字スレッドの使用は限定的に考える
2025年頃から、日本国内のキャニオニングでも、岩盤へV字状に穴を開けてコードやロープを通す、V字スレッドによるアンカーを見かけるようになりました。
V字スレッドは、岩盤へ異なる方向から二つの穴を開け、内部で穴を接続し、そこへコードやロープを通してアンカーとする方法です。
金属製ハンガーが岩盤から突出しないため、激しい増水や土石流によってハンガーが直接破壊されるような場所では、有効な選択肢になることがあります。仮に通していたコードが失われても、岩盤と穴が残っていれば、新しいコードを通すことでアンカーを再構築できるからです。
一方で、V字スレッドを作るためには、通常のボルト施工よりも太い穴を、二方向から開けなければならず、岩盤へ与える加工量を比較すれば、一般的なボルトアンカーよりも、岩盤に遥かに大きな加工を行うことになります。
本来想定されるのは、次のような限定的な状況です。
- 増水時に転石や流木が激しく衝突する場所
- 突出した金属製ハンガーが繰り返し破壊される場所
- 岩盤そのものは残る可能性が高い場所
- コードを交換することでアンカーを再生できることに利点がある場所
- 一般的なボルトアンカーでは耐久性を確保できない場所
通常のキャニオニング用ハンガーを、安全で増水の影響を受けにくい位置へ施工できるのであれば、V字スレッドを選ぶ技術的な必要性は小さくなります。










